千葉地方裁判所 平成8年(ワ)1220号 判決 1999年2月25日
原告
松田栄作(X)
右訴訟代理人弁護士
山崎巳義
被告
加藤稔(Y1)
右訴訟代理人弁護士
清水健
被告
松田榮(Y2)
同
中本幸男(Y3)
同
佐々木靖(Y4)
被告
市原市(Y5)
右代表者市長
小出善三郎
右訴訟代理人弁護士
河邉義範
被告
国(Y6)
右代表者法務大臣
中村正三郎
右指定代理人
前澤功
同
鶴巻勲
同
宮崎芳久
同
神作昌嗣
同
細谷秀和
同
鎌形彦之
同
酒井正信
主文
一 被告加藤稔は、別紙物件月録記載一、二の各土地及び同目録記載三の建物についてなされた別紙登記目録記載一及び二の各登記の抹消登記手続をせよ。
二 原告と被告加藤稔との間において、東京法務局所属公証人永井登志彦作成の別紙債権目録記載の平成六年第〇九〇弐号金銭消費貸借契約公正証書に係る原告の被告加藤稔に対する連帯保証債務が存在しないことを確認する。
三 被告松田榮、同中本幸男、同佐々木靖及び同国は、原告に対し、各自金一〇〇万円及びこれに対する平成六年八月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告加藤稔、同松田榮及び同市原市は、原告に対し、各自金七万六〇〇〇円及びこれに対する被告加藤稔は平成八年七月二〇日から、同松田榮及び同市原市は平成七年一月一三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
五 原告の被告松田榮、同中本幸男、同佐々木靖、同加藤稔、同市原市及び同国に対するその余の請求はこれを棄却する。
六 訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の、その四を被告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 主文一項、二項と同旨
二 被告松田榮、同中本幸男、同佐々木靖、同市原市及び同国は、原告に対し、各自五五〇万円及びこれに対する平成六年八月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告松田榮、同中本幸男及び同佐々木靖は、原告に対し、各自三〇〇万円及びこれに対する平成六年八月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
四 被告加藤稔、同松田榮及び同市原市は、原告に対し、各自七万六〇〇〇円及びこれに対する平成七年一月一三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 前提事実(争いのない事実及び掲記の証拠により認められる事実)
1(一) 原告は、別紙物件目録記載一、二の各土地及び同目録記載三の建物(以下「本件土地一」「本件土地二」「本件建物」といい、これらを併せて「本件土地建物」という。)を所有している。(〔証拠略〕)
(二) 本件土地建物には、被告加藤稔(以下「被告加藤」という。)のために、別紙登記目録記載一及び二の各登記(以下「本件一の登記」「本件二の登記」といい、これらを併せて「本件各登記」という。)がなされている。(〔証拠略〕)
2(一) 東京法務局所属公証人永井登志彦は、平成六年九月一四日、別紙債権目録記載の内容の平成六年第〇九〇弐号金銭消費貸借契約公正証書(以下「本件公正証書」という。)を作成した。(〔証拠略〕)
(二) 本件公正証書には、山野辺文彦(以下「山野辺」という。)が原告の代理人として、債務者である被告松田榮(以下「被告榮」という。)のために、被告加藤との間で連帯保証契約(以下「本件連帯保証契約」という。)を締結した旨の記載があるが、原告は、山野辺に対し、本件連帯保証契約締結に係る代理権を授与していなかった。(右事実は、原告と被告加藤の間で争いがない。)
(三) 被告加藤は、平成六年一二月一六日、本件公正証書に基づいて、原告の動産を競売に付し(以下「本件動産執行」という。)、平成七年一月一三日、右動産は、七万六〇〇〇円で平田春夫に売却され、被告加藤は同額を取得した。(〔証拠略〕)
(四) 原告は、平成七年一月一三日、右執行された動産について、右平田から七万六〇〇〇円でその動産を買取った。(〔証拠略〕)
3 原告名義の印鑑登録の廃止及び新規印鑑登録の経緯
(一) 被告榮と原告を名乗る人物(以下「自称栄作」という。)は、平成六年八月五日、市原市役所姉崎支所(以下「姉崎支所」という。)を訪れ、その場で、原告名義を冒用して、原告が被告市原市(以下「被告市」という。)に登録している印鑑及び印鑑登録証の亡失を理由とする印鑑登録(廃止)申請書(以下「本件申請書」という。)を作成し(本件申請書の保証人欄には被告榮の署名押印がある。)、原告の印鑑登録の廃止と新規の印鑑登録の申請(以下「本件印鑑登録申請」という。)をなした。(〔証拠略〕)
(二) 姉崎支所の職員霜﨑光子(以下「霜﨑」という。)は、本件印鑑登録申請を受理し、原告の印鑑登録の廃止と新規の印鑑登録手続(以下、右一連の手続を「本件印鑑登録手続」という。)をした上、即時、印鑑登録証明証四通(交付番号七八六三ないし七八六六)を交付した。(〔証拠略〕)
(三) 原告は、平成六年八月八日、被告市から本件印鑑登録申請について確認の通知(「印鑑登録について(通知)」と題する書面による通知)を受け、同日、姉崎支所に対し、本件印鑑登録申請はしていない旨連絡した。(〔証拠略〕)
(四) 原告の右連絡を受け、被告市は、印鑑登録証明書発行停止処置をなし、原告から印鑑登録廃止のための書類の提出を受け、同月九日、改めて原告の持参した印鑑で印鑑登録をした。(〔証拠略〕)
4 本件各登記の経緯
(一) 被告中本幸男(以下「被告中本」という。)は司法書士であるところ、原告の代理人あるいは原告及び被告加藤の代理人として、平成六年八月八日、千葉地方法務局市原出張所(以下「市原出張所」という。)において、本件土地建物について、左記の登記申請(以下「本件各登記申請」という。)手続をした。(〔証拠略〕)
記
(1) 市原出張所平成六年八月八日受付第弐五七八六号所有権登記名義人表示変更更正登記
(2) 本件一の登記
(3) 本件二の登記
(4) 市原出張所平成六年八月八日受付第弐五七八九号所有権移転登記
物件 本件土地一及び二
原因 平成六年八月八日贈与
登記権利者 被告榮
登記義務者 原告
(5) 市原出張所平成六年八月八日受付第弐五七九〇号所有権移転登記
物件 本件建物
原因 平成六年八月八日贈与
登記権利者 被告榮
登記義務者 原告
(二) 本件各登記申請のうち、(2)、(4)及び(5)については、被告中本及び同佐々木靖(以下「被告佐々木」という。)作成の不動産登記法(以下「法」という。)四四条が規定する「登記義務者ノ人違イ無キコトヲ保証シタル書面」(以下「保証書」といい、本件各登記申請に使用された保証書を、以下「本件保証書」という。)が使用された。(〔証拠略〕)(なお、(5)の登記申請に使用された保証書は、後記のとおり(4)の登記申請が却下されたことにより、(4)に使用された保証書を流用した。)
また、本件各登記申請には、原告及び被告加藤の同中本に対する委任状(以下「本件委任状」という。)及び自称栄作の申請により発行された四通の印鑑登録証明書のうちの一通(交付番号七八六四、以下「本件印鑑登録証明書」という。)が添付されていた。(〔証拠略〕)
(三) 同年八月一〇日、被告市職員は市原出張所を訪れ、登記官に対し、被告市において原告の印鑑登録証明書が不正に発行されたので、当該印鑑登録証明書を添付した登記申請を受理しないよう依頼したところ、登記官が出張所の未処理の申請書類を調査した結果、本件印鑑登録証明書を添付した本件各登記申請がなされていることが判明した。(〔証拠略〕)
(四) 原告は、右同日、被告市職員の要請を受けて市原出張所に出頭し、その場で同出張所長と面会し、右所長から、本件各登記申請が原告本人の意思に基づくものであるかについて質疑を受け、右所長に対し、免許証を提示して原告が「松田栄作」本人であることを明らかにしたうえ、原告が知らない間に本件印鑑登録手続がなされ、新規登録印の印鑑登録証明書が被告市から発行されたこと、原告は本件各登記申請の手続を被告中本に委任したことはないことなどを応えた。(〔証拠略〕)
(五) 被告中本は、同月二二日、登記官の求めに応じて市原出張所に出頭し、その場で原告と直接面談した結果、被告中本に本件各登記申請を依頼した自称栄作と原告が別人であることを登記官の面前で認めた。(〔証拠略〕)
(六) 登記官が、被告中本に対し、右同日、本件各登記申請を直ちに取り下げるように促したところ、被告中本は登記権利者である被告加藤からも登記申請を委任されているので取り下げることはできないとして、これを拒否した。(〔証拠略〕)
(七) 登記官は、同月二六日、前記(1)ないし(3)の登記を完了し、そのうち(2)の登記を完了した旨を原告に通知した。
また、右同日、登記官は、法四四条の二第四項の規定に基づいて前記(4)及び(5)の各登記申請がなされた旨を原告に通知したところ、原告から右各登記申請は不実である旨の申立てがなされたことから、同年一〇月六日、法四九条一一号の規定により、(4)及び(5)の各登記申請をいずれも却下した。(〔証拠略〕)
二 争点
1 被告中本の責任の有無(以下「争点1」という。)
(原告の主張)
(一) 保証書を作成する者は、登記申請をする者と登記簿上の名義人が同一人であるということを、善良なる管理者の注意をもって確認し、間違いがないことを保証すべきところ、特に、司法書士が保証書の作成を依頼されたときは、依頼者が登記義務者と人違いでないことが明らかな場合に限り、保証書を作成することとされている(昭和三〇年一二月一六日民事甲二六七三号法務省民事局長通達)。
しかるに、被告中本は、本件保証書作成当時、原告とは一面識もなく、現に登記申請をする者が登記簿上の登記義務者である原告と同一人であるかどうか全くわからないまま、その調査を怠って本件保証書を作成したのである。
(二) また、被告中本は、司法書士として登記申請当事者の代理人となって本件各登記申請をしていたのであるから、依頼者が虚偽の申出をしていたことが発覚した場合には、登記申請を速やかに取り下げるなど、虚偽に基づく登記申請を回避すべき義務があるところ、依頼人である自称栄作と原告が全くの別人であることが判明し、市原出張所の登記官から本件各登記申請の取下げを勧告されたにもかかわらず、これを拒否した結果、本件各登記がなされたものである。
(三) したがって、被告中本には、右各注意義務を怠った過失があるので、原告に対し、原告に生じた損害につき不法行為に基づく損害賠償をなすべき義務がある。
(被告中本の主張)
(一) 被告中本は、平成六年七月ころ、訴外久島某(以下「久島」という。)から所有権移転登記手続申請を保証書で頼みたい旨の連絡を受け、同年八月六日、被告榮、自称栄作、久島外一名と会い、市原出張所において代理人として本件土地建物の所有権登記名義人表示変更登記及び抵当権設定登記の各申請をするよう依頼された。
その際、被告中本は、自称栄作から印鑑、印鑑登録証明書、保証書、運転免許証を提示されて確認したところ、右運転免許証添付の写真と自称栄作の顔が一致し、運転免許証に記載された住所と印鑑登録証明書に記載された住所が一致したことから、保証書の作成及び本件各登記申請を代理人としてすることを承諾し、自称栄作に本件委任状を作成させた。
(二) 被告中本は、同月八日、市原出張所に本件各登記申請をしたが、同月一一日、市原出張所に登記の補正をするために赴いたところ、その場で原告から運転免許証の提示を受け、原告と自称栄作が別人であることがわかったため、市原出張所長に時間をくださいと告げ帰ったが、自称栄作と原告は両名とも運転免許証を示していたので確定的な判断がつかず、登記所の判断に任せることとした。
したがって、原告の請求は理由がない。
2 被告佐々木の責任の有無(以下「争点2」という。)
(原告の主張)
被告佐々木も、被告中本と同様、保証書を作成するにつき、現に登記申請をする者と登記簿上の名義人とが同一人であるということを善良なる管理者の注意をもって確認し、間違いがないことを保証すべきところ、被告佐々木は、本件保証書作成当時、原告とは一面識もなく、現に登記申請をする者が登記簿上の登記義務者である原告と同一人であるかどうか全くわからないまま、その調査を怠って本件保証書を作成したものである。
したがって、被告佐々木には、右注意義務を怠った過失があるので、原告に対し、原告に生じた損害につき不法行為に基づく損害賠償をなすべき義務がある。
(被告佐々木の主張)
(一) 被告佐々木は、平成六年七月、被告中本から千葉県所在の土地建物について所有権移転の登記をするにつき保証人となることを依頼されたが、この時は右依頼を断った。
しかし、同年八月、被告中本から再度所有権移転の登記をするための保証人となることを依頼されたことから、被告佐々木は、登記申請者と登記名義人とが同一人であることの調査等を行うよう被告中本に告げたうえで、保証人になることを承知した。
ところが、被告中本は、被告佐々木に保証書作成の依頼人を会わせることもしないまま、被告佐々木が勤務する株式会社アシスト(以下「アシスト」という。)に同人が不在の間に訪れ、アシストの事務員に対し、被告佐々木が保証人になることを承諾していると偽って、被告佐々木の印鑑登録済印鑑(以下「実印」という。)及び印鑑登録証明書を入手し、本件保証書に被告佐々木の住所氏名を記入し実印を押印したものである。
(二) したがって、被告佐々木は、本件保証書を作成していないから、原告の主張は理由がない。
3 被告市の責任の有無(以下「争点3」という。)
(原告の主張)
(一)(1) 印鑑登録証明書は、登録された印鑑と印鑑登録証明書を所持する者は本人であるとする人格の同一性を確認する手段として、あるいは登録された印鑑のある文書に印鑑登録証明書を添付することによってその文書が真正に成立していることを担保する手段として用いられ、不動産の登記、公正証書の作成など法令の規定に基づいて提出を義務づけられている場合のほか、不動産取引など国民の権利義務の発生変更等を伴う重要な行為につき、広く利用されている。
したがって、印鑑登録証明書を不正に利用し、本人が不知の間にその重要な財産について処分や取引がなされると、関係人に多大な損害を与える危険性があることから、印鑑登録事務を取扱う地方公共団体には、本人以外の者によって本人の意思に基づかない印鑑登録が申請され、本人以外の者に印鑑登録証明書が交付されることがないように慎重に本人の同一性とその登録申請意思を確認すべき注意義務がある。
(2) 特に、印鑑登録申請の際に右確認方法としていわゆる保証人方式による場合は、申請者と保証人とが通謀し、替え玉による虚偽申請が行われる危険性があるので、申請のために出頭した者と本人との同一性の確認を慎重になすべき注意義務がある。
(3) 被告市においては、市原市印鑑条例(昭和五九年七月六日条例第二一号、以下「本件条例」という。)一五条に規定されている関係者に対する質問調査権を適切に行使し、印鑑の登録を受けようとする者(以下「登録申請者」という。)あるいは印鑑の登録を受けている者(以下「登録者」という。)が本人であるか否かを、単に住所、氏名、生年月日等を書面上ないしコンピューター画面で照合するだけでなく、これらを口頭で誦せしめ、さらに住民票記載の本人の本籍、家族構成等本人でなければ容易に知り得ない事項を質問し、場合によっては疎明資料の提出を求めるなどして、本人であることにつき調査を尽くすべき義務があるといえる。
(二) 本件で、霜﨑は右注意義務を怠り、申請書類が形式的に要件を充たしているということだけから、漫然と出頭した自称栄作を原告本人であると軽信し、被告榮らが申請したとおり本件印鑑登録手続を行い、即時に印鑑登録カードを被告榮らに交付してしまったのである。
そして、被告榮らは、本件印鑑登録証明書を含む四通の印鑑登録証明書の交付を受け、これを、本件各登記申請及び本件公正証書作成に悪用したのである。
(三) したがって、被告市は、国家賠償法一条により、原告の被った損害を賠償すべき責任がある。
(被告市の主張)
(一) 印鑑登録の際の注意義務違反の主張について
(1) 本件条例(第4条3(2))は、印鑑の登録をする場合において、申請者が自ら申請した場合、被告市において既に印鑑の登録を受けている者から申請者が本人に相違ないことを登録した印鑑を押印して保証した書面が提出され、これにより申請者が本人であることの確認が得られたときは、申請者に対し文書で照会して回答書を持参させるという本人確認の方法を省略できる旨規定している。
(2) 被告榮と自称栄作が、平成六年八月五日、姉崎支所において、本件印鑑登録申請をした際、右申請を受けた霜﨑は、提出された本件申請書に目を通し、窓口に来訪した男性二人の内、どちらが申請者の「松田栄作」であるかを確認した。そして、本件申請書の申請人欄と保証人欄の記載がそれぞれ申請者と保証人によって別々に記入されたものかどうかを確認した上、右記載内容が申請者及び保証人の既に登録されている事項(住所、氏名、生年月日等)と一致しているかどうかをコンピューターの画面に映し出して照合し、かつ、本件申請書の「廃止する理由」欄の印鑑亡失及び登録証亡失にマル印がされていたので、その点を口頭でも確認した後、特に不審な点は見られなかったため、本件印鑑登録申請を受理し、同時に新たな登録印の印鑑登録証明書四通の交付申請書が自称栄作から出されたので、右申請に応じて、即時、本件印鑑登録証明書を含む四通の印鑑登録証明書を交付したのである。
(3) 霜﨑の本件印鑑登録手続及び印鑑登録証明書発行の状況は右のとおりであって、原告が主張するように、保証人である被告榮の印影の照合及び申請書類の形式的要件の具備を確認しただけで申請に応じたものではなく、本件条例の定める手続に則り、慎重に判断して、本件印鑑登録手続及び印鑑登録証明書の交付手続をしたのである。
よって、霜﨑に過失はない。
(二) 損害との因果関係について
(1) 本件印鑑登録手続及び印鑑登録証明書交付後の被告市の対応は以下のとおりである。
(イ) 被告市は、原告に対し、右手続をした日である平成六年八月五日に「印鑑登録について(通知こと題する書面を郵送したところ、同月八日、原告から右「通知」に係る印鑑登録が虚偽である旨の申し出がなされたことから、改めて原告に電話連絡し、右申出の趣旨を確認した上で印鑑登録証明書発行停止処置をし、原告より右印鑑登録廃止のための書類を提出してもらった。
(ロ) 同月九日、原告から被告市に対し、被告市の顧問弁護士に相談したい旨の申し入れがあり、同日、被告市職員同席の上、原告は中條秀雄弁護士に本件を相談した。
また、同日、原告は持参した印鑑で改めて印鑑登録をした。
(ハ) 同月一〇日、被告市職員は、市原出張所長に対し、右経緯を説明した上、市原出張所に提出されている登記申請書類を確認したところ、自称栄作の申請により被告市が発行した本件印鑑登録証明書を使用した本件各登記申請がなされていることが判明したことから、被告市職員は、市原出張所長に対し、原告の印鑑登録証明書が不正に使用されているので、本件各登記申請をそのまま受理しないよう協力を依頼した。
また、同日、被告市職員は、原告に対し、運転免許証、印鑑登録カード、印鑑を持参して市原出張所に出頭するよう連絡し、原告を市原出張所長と面会させた。
(ニ) その後、被告市職員は、同月一一日、同月二二日にも、市原出張所を訪れ、本件各登記申請をそのまま受理しないよう協力を依頼した。
(2) 以上の事実経過からすれば、仮に霜﨑の本件印鑑登録手続及び印鑑登録証明書の交付手続に過失があったとしても、その後の被告市職員の原告との迅速な接触及び市原出張所への働きかけによって、同月一一日には被告中本と原告が右出張所で面談し、被告中本は本件各登記申請を同被告に委任した自称栄作と原告とが別人であることを認めたのであるから、原告、被告中本及び同加藤において、協力して本件各登記申請が原告の意思によるものかどうかを再度慎重に協議すべきであったというべきであって、そうすれば、本件各登記が実行される前に本件各登記申請を取り下げることは容易だったのであるから、霜﨑の右過失と原告の損害との間には因果関係がない。
(三) 以上のとおりであるから、原告の被告市に対する請求は理由がない。
4 被告国の責任の有無(以下「争点4」という。)
(原告の主張)
(一)(1) 法は、登記手続申請があれば、申請どおりの取引の実体関係が有効に存在するであろうとの推定に立ち、かかる実体関係の存在が疑わしいと思われる場合に限って申請を却下すべきものとしている。これは、形式的に真正な書面によるものであるときは、その実質的関係も推定すべきとし、他方、この推定を直ちに覆すことができる場合は、実質的関係が疑わしいということになるから、申請を却下すべきとするものである。
(2) 登記申請に対する審査の具体的方法としては、登記官の審査権限は提出書類の形式的真正のみに限られ、実質的真正に及ばないとされているが、反面、それは申請の段階で直ちに形式的真正の推定を覆すことができるものは、直ちに却下すべきことになると解すべきである。
すなわち、形式上申請書類が整っていても、出頭している者が当事者本人でないことをその場で明言した場合には、出頭した者が当事者本人であるとの推定を覆すことができるので、「当事者ガ出頭セザルトキ」に当たり申請は却下されることになるが(法四九条三項)、このことは、消極的審査においても、当事者が不実を暴露した場合にはそれを審査の対象としているものであるところ、書面審査における消極的審査も、積極的に審尋等による調査探求はしないというだけのことであるからも登記官は、審査のために提出された申請書類が真正なることの心証を得るために、窓口において提出された書面及び窓口における作成者本人の言動をも含めて消極的審査の対象とすべきなのである。
したがって、申請代理人が自ら作成、提出した申請書類に関して不実を暴露した場合には、登記官はそれも審査の対象とすべきである。
(二) これを本件についてみると、本件の事実経過は以下のとおりである。
(1) 市原市役所市民生活部次長及び姉﨑支所長は、市原出張所長に対し、平成六年八月一〇日も本件各登記申請の添付書類として提出されている原告の本件印鑑登録証明書は、被告榮らが偽造印鑑を使ってした印鑑登録に基づいて発行された不実のものである旨通報し、これを受けて、市原出張所長は、同日、原告に対し、右印鑑登録と原告の実印について聴取し、かつ、本件各登記申請に関し、原告の真意によるものかどうかを原告に確認した。
(2) そこで、原告は、市原出張所長に対し、運転免許証を提示して原告が「松田栄作」本人であることを明らかにしたうえ、原告が不知の間に勝手に本件印鑑登録手続がなされ、その新規登録印の印鑑登録証明書が被告市から発行されてしまっていること、原告は本件各登記申請を何人にも委任したことはないこと、司法書士の被告中本という人間とは一面識もないこと、原告の実印は当日持参したものであること、本件土地建物について抵当権を設定したり贈与をしたことはないこと、本件土地建物の登記済証は原告が所持していることなどを話した。
(3) 同月一一日、本件各登記申請手続を代理人としてなした被告中本が市原出張所にあらわれた際、被告市職員から連絡を受けた原告は、市原出張所に赴き、被告中本と初めて対面し、その結果、被告中本は自称栄作と原告とが別人であることを認めた。
(三)(1) 右事実経過のとおり、被告中本は、登記官に対し先本件各登記申請を委任した自称栄作と原告が別人である旨暴露したのであるから、本件各登記申請に用いられた本件委任状が真正であるという推定及び被告中本及び被告佐々木が作成した本件保証書が登記義務者と現に申請する者との「人違イナキコト」を保証するとの推定がくずれ、また、本件委任状に使われている印鑑も自称栄作の印鑑であって、原告のものではないことが判明した結果、本件各登記申請に添付された本件印鑑登録証明書も自称栄作の印鑑登録証明書であって、原告の印鑑の印鑑登録証明書ではないことが判明したのである。
よって、登記官は、この段階で、直ちに被告中本に対し、改めて原告の真正な委任状及び印鑑登録申請書並びに保証書の提出を求めるなどの補正を命じ、その補正に従わないときは、添付の本件委任状が偽造であること又は本件印鑑登録証明書が不実であることを理由に法四九条八号あるいは同条四号に基づいて本件各登記申請を却下し、また、本件保証書が偽造であることを理由に本件一の登記にかかる登記申請を却下すべきであったのである。
(2) 加えて、原告名義の印鑑登録証明書が不実であり、かつ、その印鑑も偽造されたものであることが被告市職員の通報及び原告からの事情聴取で判明していたのであるから、登記官は、かかる特段の事情のない通常の場合と比較して、その登記申請をより慎重に審査し、不正な書類に基づく登記申請を却下すべき注意義務がある(大高判昭和五七・八・三一)。
(3) しかるに、登記官は、右注意義務を怠り、本件各登記申請を却下することなく、これを受理したのである。
(四) 以上のとおり、本件各登記申請には明確に却下事由があったのにもかかわらず、登記官はその判断を誤り、本件各登記を実行したのであるから、被告国は、国家賠償法一条により原告の被った損害を賠償すべき義務がある。
(被告国の主張)
(一) 法は、登記申請のとおりの実体関係が有効に存在すると推定されるか否かについて、その判断に登記官の主観が混入したり、事務の単純・迅速を損うことがないように、当該申請行為自体と既存の登記簿の記載という形式的な資料によって判定し得るいくつかの徴表を制限的に列挙し、このいずれかに該当する場合にのみ申請を却下すべきと規定している。
したがって、法四九条各号に規定された却下事由以外にも、登記官の裁量判断によって申請を却下することができるかのごとき原告の主張は、その前提において明らかに法律に反したものであって失当である。
なお、原告は、審査の消極性の意義を「積極的に審尋等による調査探求はしない」という意味に理解するようであるが、「審査の消極性」とは、法定の却下事由に該当する場合だけが申請に対応する実体関係の存在が疑わしい場合であるとすることを指すものであり、原告の主張は審査の消極性と書面審査の原則とを混同しているものである。
(二) また、登記官の審査は、登記申請書類について、法及び法施行規則に定める形式的要件を具備しているかどうかのいわゆる形式的審査をなし得るにとどまり(最判昭和三五年四月二一日)、原則として、申請にあたって提出された書類と、これに関連する既存の登記簿だけを資料として行われる一種の書類審査であり、申請のために出頭している者やその他の者に対する口頭による審尋をなす必要はなく、また、なすべきではない。
(三) 本件では、提出された本件印鑑登録証明書及び本件保証書はいずれも形式的には真正であっても右書類の内容が真正でないことは書面審理によっては知り得ない事項である。
また、原告が引用する裁判例は、警察官から登記名義人に無断で登記申請がなされている旨の連絡及び右登記申請の処理を留保するよう申し入れがあったという特殊事情がある場合には、登記官はより慎重な審査を尽くすべきであり、そうすれば添付書類の外形的な態様(証明権者印の印影の印肉の差異、発行番号の各数字の間隔・配列・同数字の活字体の差異)自体から偽造であることが看破できたと認定判断された事案についてのものであり、本件では添付書類は形式的には真正であるのだから登記官はいかにこれを注意深く処理したとしても却下することは不可能であり、また、登記官は被告中本に申請の取下げの機会を与えたにもかかわらず被告中本はこれを拒み、更に登記官は処理を留保して当事者間で話し合いをするための機会を与えたにもかかわらず被告加藤がこれを強く拒否したものであって、本件と右裁判例は事案を異にする。
(四) 仮に、権限を有する者が作成した書面によって本件印鑑登録手続後の原告の印鑑登録証明書が無効であることが明らかとなった場合に、登記官が右書面を審査の資料とすることが可能であると解するとしても、本件各登記申請の添付書類とされた原告の印鑑証明が無効である旨被告市市長が告示して、登記官にその旨通知したのは平成六年八月二九日のことであるから、本件各登記申請についての審査の資料とはなり得なかったのである。
(五) また、原告が主張する法四九条四号あるいは八号の却下事由のうち、法四九条四号は、「申請書」が方式に適合しない場合の規定であって、添付書類には適用がなく、同条八号は、申請にあたって添付提出すべく定められている書面あるいは図面の添付がないとき、または、添付されている書面が偽造であることが形式的審査から判明したときの規定であるところ、原告主張の本件抵当権設定登記申請の却下事由のうち検討の余地があるのは、本件委任状が偽造であるという点だけであるが、本件委任状の形式的真正の審査に際しては、前記の書面審理の原則から、原告や被告中本の口頭の陳述は登記官の審査の資料とならないものである。
(六) 以上のとおりであって、登記官が、本件各登記申請について、却下事由がないとして本件各登記を実行したことは法上何ら問題がなく適法であり、原告の主張する注意義務違反はないから、原告の主張は理由がない。
5 被告加藤の責任の有無(以下「争点5」という。)
(原告の主張)
(一) 本件土地建物には、本件各登記が経由されているところ、原告は、本件各登記に係る抵当権設定契約及び条件付賃借権設定契約を何人とも締結していないし、本件各登記申請手続を何人にも依頼していない。
本件各登記は、被告榮らが原告の印鑑を偽造して、印鑑登録を勝手に改印し、それにより不正に入手した本件印鑑登録証明書及びその偽造印鑑を使用してなされたものであるから無効である。 (二) また、本件公正証書には、山野辺が原告の代理人との記載があり、原告の印鑑登録証明書により委任状の真正を証明させた旨の記載があるが、原告は、本件公正証書作成に関し、何人にも委任状を交付したり、印鑑登録証明書を交付したこともない。
本件公正証書は、被告榮らが原告の印鑑登録を勝手に改印して、それにより不正に入手した印鑑登録証明書及び偽造印鑑をもとに、勝手に原告を連帯保証人とするものとして作成されたものである。
したがって、本件公正証書は、原告との関係では無効であり、原告の被告加藤に対する連帯保証債務は不存在である。
(三) また、被告加藤は、本件公正証書に基づく原告所有動産に対する強制執行によって七万六〇〇〇円を取得しているところ、本件公正証書は、原告に対して無効であるから、被告加藤は、七万六〇〇〇円を不当に利得したものである。
したがって、原告は被告加藤に対し、この返還請求権を有する。
(被告加藤の主張)
(一) 被告加藤は、平成六年八月八日、被告榮に対し、弁済期を平成六年一一月七日、利息を年一五パーセント、期限後の損害金を年三〇パーセントとして、貸付額を三五〇〇万円とする消費貸借契約(以下「本件消費貸借契約」という。)を締結し、同日、原告の代理人である被告榮との間で、右被告榮の債務について、本件連帯保証契約を締結した。
(二) 被告加藤は、右同日、原告の代理人である被告中本との間で、被告榮の本件消費貸借契約に係る債務を担保するために、本件土地建物について、抵当権設定契約及び条件付賃貸借設定契約(その内容は本件登記一、二のとおり)を締結した。
(三) 被告加藤は、訴外吉田泰瞭を被告加藤の代理人に選任し、被告榮から交付を受けた印鑑登録証明書が添付された原告の代理人白地の公正証書作成委任状により原告の代理人として山野辺を選任し、被告榮と被告加藤との間の消費貸借契約及び本件連帯保証契約にかかる本件公正証書の作成を委嘱した。
また、被告加藤は、本件登記一及び二にかかる登記申請につき、原告の代理人である被告中本に委任し、その旨の登記を経由した。
6 被告榮の責任の有無(以下「争点6」という。)
(原告の主張)
(一) 被告榮は、原告の偽造印鑑を使って、原告の印鑑登録を変えることを企て、偽造印鑑を用いて不法に印鑑登録をしたうえ、本件印鑑登録証明書と偽造印鑑を用いて勝手に本件各登記をしたものである。
したがって、被告榮には、不法行為に基づき原告に生じた損害につき賠償する義務がある。
(二) また、被告榮は、不正に入手した印鑑登録証明書及び偽造印鑑を用いて原告を連帯保証人とする本件連帯保証契約を締結し、本件公正証書を作成したものであるが、被告加藤の本件公正証書に基づく原告所有動産に対する強制執行によって、原告は七万六〇〇〇円の損害を負ったのであるから、被告榮には右損害を賠償する義務がある。
(被告榮)
被告榮は、公示送達による適式の呼出を受けたが、本件口頭弁論期日に出頭しない。
7 被告榮(争点6(原告の主張)(二)記載の七万六〇〇〇円を除く)、同中本、同佐々木、同市原市及び同国の不法行為による原告の損害の有無及びその額(以下「争点7」という。)
(原告の主張)
(一) 弁護士費用
原告は、本件各登記の抹消登記請求や債務不存在確認請求等をすべく、本件訴訟及び競売手続停止の仮処分申立の手続を原告訴訟代理人に委任した。
その弁護士費用のうち、右抵当権設定額ないし本件公正証書記載の債権額である三五〇〇万円の一割である三五〇万円が、被告榮、同中本、同佐々木、同市原市、同国の不法行為と相当因果関係のある損害と見るのが相当である。
(二) 慰謝料
原告は、被告榮、同中本、同佐々木、同市原市及び同国の不法行為によって、自己の財産が失われてしまうのではないかという不安と、それを守るために奔走したり、本件訴訟を提起したり、競売手続停止の仮処分手続をとらざるを得ないなど筆舌に尽くせない多大な精神的苦痛を受けた。
この原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は、
(1) 被告市、同国に対しては二〇〇万円、
(2) 被告榮、同中本及び同佐々木は、本件の経過から極めて問題があるので、制裁的な意味合いとして、右二〇〇万円に三〇〇万円を加え、各自五〇〇万円、
が相当である。
(被告国の主張)
(一) 原告の損害に関する主張のうち、弁護士費用の算定基準を抵当権設定額の一割とする根拠は明確でない。
(二) また、被告が被ったと主張する精神的損害は、本件土地建物について本件登記がされたことに起因する以上、特別な事情がない限り、本件各登記による財産的損害が回復されればそれによって回復される関係にあるとみるべきであり、原告には財産的損害と別個に賠償すべき精神的損害が発生していない。
(被告中本、同佐々木、同市の主張)
争う。
第三 当裁判所の判断
一 争点1について
1 前記第二の一の前提事実及び〔証拠略〕によれば以下の事実が認められる。
(一) 被告中本は、司法書士の資格を持つ者であるが、本件各登記申請の数か月前、久島から、所有権移転登記手続をするのに権利証がないので何かいい方法はないかと尋ねられ、保証書でやるしかない旨答えた。
(二) 平成六年八月初めころ、被告中本は、埼玉県熊谷市の喫茶店に被告榮、自称栄作、訴外久島らと集まり、本件土地建物についての所有権移転登記と抵当権設定登記の申請手続について保証書の作成を依頼されたが、その際、被告中本は、初対面である自称栄作から印鑑、印鑑登録証明書を提示され、また、被告榮が自称栄作と親戚関係にあるとして、口頭でその身元を保証したことなどから自称栄作が原告本人であると判断し、自称栄作に対し、重ねて口頭で生年月日、住所などを尋ねることはしなかった。
(三) 被告中本は、その場で、自称栄作に本件各登記申請につき被告中本を申請代理人とする旨の本件委任状を作成させ、その後、本件保証書を作成したが、その際、本件土地建物の現況調査や登記簿謄本による本件土地建物の所有者の確認はしなかった。
(四) 被告中本は、同年八月八日、市原出張所において、本件保証書を添付して本件各登記申請をした。
被告中本は、保証書作成に必要なもう一人の保証人として、被告佐々木の氏名、住所、生年月日を本件保証書の保証人欄に記載し、同人の実印を押印していたが、同人に対し、あらかじめ自称栄作に引き会わせることをせず、本件各登記申請の対象物件が本件土地建物であることも知らせていなかった。
(五) 同月一一日、被告中本は、市原主張所の出頭要請を受けて、市原出張所に赴き、そこで原告と対面し、自称栄作と原告が別人であることを認めた。
被告中本は、同席した被告市職員から、本件登記申請書類に使用された印鑑登録証明書が被告榮らによって不正に作出されたものであると告げられ、市原出張所の登記官からは本件各登記申請を取り下げるよう促されたが、これを拒否した。
以上の事実が認められる。
2(一) 所有権等権利に関する登記申請に当たっては、登記義務者の権利に関する登記済証(いわゆる権利証)の添付が要求されているところ、登記済証が滅失して提出不可能な場合には、登記済証の提出に代えてその登記所において登記を受けた成年者二人以上が、登記申請人が登記義務者に人違いのないこと及び登記義務者が申請どおりの申請意思を有することを保証した書面、すなわち保証書を添付して登記申請ができるとされているが(法四四条)、この保証の趣旨が、現に登記申請する者と登記簿上の登記義務者が同一人であること及び申請意思を有することを保証することにより、虚偽登記がなされるのを防止するためであること、登記義務者について確実な知識がないのに保証書を作成して保証をした者、すなわち、登記義務者と称する者が真実登記義務者本人であること、また、登記義務者が申請書に示された申請意思を有するかどうかを確認せずに保証した者に対しては、刑罰が科されることがあること(法一五八条)などからすると、保証書を作成する者が、登記義務者についてそうした点について確実な知識がない場合には、右確実な知識を持つに必要な調査を尽くしたうえで、保証をすべき注意義務があると解するのが相当である。
(二) ところで、被告中本は、右1(二)で認定したとおり、自称栄作と原告とを同一人物と誤信して、本件各登記申請をなしたものであるので、問題は、自称栄作と原告の同一性の確認について、被告中本が善良な管理者として要求される程度の注意義務を尽くしたといえるかどうかという点にあるが、右1(二)、(三)で認定したとおり、被告中本は、本件土地建物の現況調査や登記簿謄本による権利関係の確認(を)することもないまま、被告榮、久島及び自称栄作の口頭の説明により、自称栄作が本件各登記申請の登記義務者である本件土地建物の所有者であると判断し、本件保証書を作成しているのであるから、そもそも本件土地建物の登記簿上の登記義務者が誰であるかという点の確認について確実な知識をもつに必要な調査を尽くしたとはいえず、また、被告中本は、本件保証書作成に当たり、保証人の一人となった被告佐々木を自称栄作に引き合わせたり、本件各登記申請の対象物件が本件土地建物であることを知らせることもせず、被告佐々木において、自称栄作と登記簿上の登記義務者とが同一人であることの確認をさせないまま、あえて同人名義の保証書を作成していることなどからすると、被告中本は、被告榮、久島及び自称栄作の説明を何ら疑いを挟むことなく信用し、同人らの要求するとおりの本件保証書を形式的に整えたものであることは明らかである。
(三) 被告中本は、自称栄作と原告の同一性の確認について、本件保証書の作成に当たり、自称栄作が提示した運転免許証添付の写真と自称栄作の容貌が一致し、右運転免許証に記載された住所と自称栄作が提示した印鑑登録証明書記載の住所が一致したことから、本件保証書の作成を承諾したと主張し、同被告の供述の中には、運転免許証を見た旨の右主張に沿う供述部分があり、また、被告榮が自称栄作と親戚関係にあるとしてその身元を保証したことから自称栄作が原告本人であると判断したことは右1認定のとおりである。
しかしながら、後記三1(三)で認定するとおり、自称栄作は、姉崎支所で印鑑の登録申請をするに際し、自称栄作が原告本人であることを示すために、運転免許証を示していないが、被告中本をだます為だけに精巧な運転免許証を偽造したとは推認し難く、また、被告中本は、自称栄作のみならず被告榮とも初対面であるにもかかわらず、被告榮と自称栄作の身分関係を戸籍謄本等によって確認することもなく、被告榮、久島及び自称栄作の説明を何ら疑いを挟むことなく信用し、同人らの要求する保証書を形式的に整えていることなどに鑑みると、被告中本の右供述は措信できず、同被告は、登記義務者である原告と自称栄作の同一性について、慎重な判断を加えたといった事実はなかったものと推認せざるを得ず、したがって、被告中本には、本件保証書作成につき善良な管理者たる注意義務を怠った過失があることは否定できない。
よって、被告中本は、右過失によって原告に生じた損害について、不法行為に基づいて、損害を賠償する責任がある。
二 争点2について
1 前記第二の一の前提事実及び〔証拠略〕によれば、以下の事実が認められる。
(一) 被告佐々木は、アシストに勤務しているところ、被告中本がアシストの監査役を務めていることから、同人と面識があった。
(二) 被告佐々木は、同中本から保証書の作成を依頼され、協力する旨答えていたが、右依頼から一か月位経過した日の朝、同人から、保証書を作成するために被告佐々木の印鑑登録証明書、登記簿謄本などを準備して欲しいとの連絡を受けた。
(三) 右同日、被告佐々木がアシストに右各書類を準備していたところ、同人が外出している間に被告中本がアシストを訪れ、アシストの事務員から、右印鑑登録証明書、登記簿謄本及び被告佐々木の実印を受取った。
(四) 被告中本は、平成六年八月八日、市原出張所において、本件保証書を添付して本件各登記申請した。
被告中本は、保証書作成に必要なもう一人の保証人として被告佐々木の氏名、住所、生年月日を本件保証書の保証人欄に記載し、同人の実印を押印していたが、被告佐々木は、同中本から保証書の作成を依頼されてから、右印鑑登録証明書、登記簿謄本交付をなすまでの間に、本件保証書が使用された本件各登記申請の対象物件及び登記義務者について、被告中本からは何ら知らされず、また、原告とも一面識もなかった。
2 被告佐々木名義の本件保証書作成の経緯は、以上のとおりであって、被告佐々木は、本件各登記申請について保証人として自己の名称が使用されることを承諾し、また、保証書作成に使用されることを知りながら、あえて被告中本に交付するため自分の印鑑登録証明書をアシストに準備していたのであるから、これらの事実からすれば、被告佐々木は、同中本に対し、自己名義の保証書を作成する権限を付与していたことが推認される。
しかるに、被告佐々木は、原告や自称栄作と一面識もなく、本件各登記申請の対象物件についても何ら調査もせず、登記義務者を確認することもなしに本件保証書を作成したことは右認定のとおりであるから、保証人として、登記義務者と登記申請者との同一性を確認することの注意義務を怠ったことは明らかであり、右過失により、原告に生じた損害につき不法行為に基づき賠償する責任がある。
なお、この点について、被告佐々木は、登記申請者と登記名義人とが同一であることの調査等を行うよう被告中本に告げたうえで、保証人になることを承知したのであって、本件保証書は、被告中本が、勝手に作成したものであると主張し、これに符合する供述をしているが、仮に、被告佐々木において、同中本に対し、登記申請者と登記名義人とが同一であることの調査等を行うよう申し向けていたとしても、保証人となる者は、それぞれ自己の責任において善意なる管理者の注意義務をもって右同一性確認をなすべきことは前示のとおりであり、被告佐々木が、同中本に対し、右保証人としての注意義務を果たさぬまま、自己の名称を用いた保証書を作成させた本件においては、右主張は採用することができない。
三 争点3について
1 被告市職員の過失の有無について
(一) 印鑑登録証明書は、一般に、不動産取引、金融取引等の私人間の経済上の行為に必要なものとされ、その重要性から、偽りの印鑑登録がなされ、印鑑登録証明書が発行されるとそれが不正に利用される危険が極めて大きく、また、偽りの印鑑登録がなされたとしても、本人が虚偽の印鑑登録に気付き、印鑑登録証明書の発行を事前に阻止することは困難であることから、印鑑登録証明の事務を担当する地方公共団体の職員は、本人の意思に基づかない印鑑の登録または印鑑登録証明書の交付をすることがないように本人の確認に慎重な注意を払うべき職務上の注意義務があると解される。
(二) 〔証拠略〕によれば、本件条例は、印鑑登録の申請がなされた場合、市長は、申請者が本人であること及び当該申請人が本人の意思に基づくものであることの確認(以下「本人確認」という。)をしなければならず(四条一項)、右確認は、原則として、印鑑登録の事実について、申請者に対し文書で照会し、その回答書を申請者又はその代理人に持参させる方法によって行うが(四条二項)、申請者が自ら申請した場合において、官公署の発行した免許証、許可証、若しくは身分証明書で本人の写真を貼付したもの又は外国人登録証の提示をした場合(以下これらを「証明写真方式」という、四条三項一号)、又は、被告市において既に印鑑の登録を受けている者により、申請者が本人に相違ないことを登録した印鑑を押印して保証した書面を提出した場合(以下「保証人方式」という、四条三項二号)には、右方法を省略することができる旨規定している(四条三項)。
また、本件条例は、市長は印鑑の登録又は証明に関し、関係者に対して質問し、又は必要な事項について調査することができるとし(一五条)、市原市印鑑条例施行規則(昭和五九年七月九日規則第二二号、以下「本件規則」という。)四条は、印鑑の登録申請は、印鑑登録申請書の記載事項について住民基本台帳と照合して受理するものと規定している。
右のとおり、被告市においては、本人確認につき、申請者に対する文書による照会の代替手段として、証明写真方式と保証人方式を規定しているところ、本人確認を文書による照会の方式による場合は登録申請の事実をあらためて本人に通知する措置をとることにより、本人が不知の間に虚偽の印鑑登録がなされることを著しく困難にするものであるといえるが、他方、右代替手段、とりわけ保証人方式による場合は、本件条例及び本件規定上、印鑑証明事務担当者が本人確認の拠り所とするのは、保証人がすでに当該地方公共団体に印鑑登録をしているという点のみであって、そこでは本人に対する個別的な確認手続は予定されていないから、登録申請者に対する文書による照会の場合に比して、不正な印鑑登録の作出が容易であることは明らかである。
しかるに、前記のような印鑑登録証明書の重要性及び濫用の危険性に鑑みると、保証人方式によって印鑑登録申請がなされた場合には、その不正な印鑑登録作出の容易性からして、印鑑証明事務担当者としては、単に本件条例や本件規則が規定する形式的な確認手続を履践するのみでは職務上の注意義務を尽くしたとはいえないのであって、本件条例一五条が定める質問権、調査権を柔軟に行使して、個々の場合に応じて、本人確認のための質問や調査を行うなどの措置を講じ、もって不正な印鑑登録の作出を抑制すべき義務があると解するのが相当である。
なお、保証人方式による申請がなされた場合における質問、調査を印鑑証明事務担当者の義務としたとしても、〔証拠略〕によれば、姉崎支所においては、証明写真方式による申請が年間約二〇〇〇件を数えるのに対し、保証人方式は、年間約二〇〇件に過ぎず、印鑑証明事務担当者に発問や調査を行うことを求めたとしても、その負担を過重したり、印鑑証明事務の簡便、迅速さを損なうものとは認められない。
(三) 本件では、自称栄作が原告名義を冒用して本件申請書を姉崎支所に提出したこと、本件印鑑登録申請が被告榮を保証人とする保証人方式でなされたこと、霜﨑は、本印鑑登録申請を受理した上、即時、新規登録印の印鑑登録証明書四通を交付していることは前記第二の一の前提事実記載のとおりであるが、〔証拠略〕によれば、霜﨑は、自称栄作から本件申請書及び印鑑登録証明書交付申請書(〔証拠略〕)の提出を受けると、本件申請書に記載漏れがないことを確認した上、本件申請書に記載されている生年月日と自称栄作を見比べ、年齢、格好が一致すると判断し、次に、コンピューターのモニターに原告の印鑑登録に関する照合用の画像を映し出し、画面上の住所、氏名、生年月日等と本件申請書の記載を照合して一致することを確認し、以上の作業で本人確認ができたと判断し、また、保証人についても、被告榮の照合用の画像をコンピューターのモニターに映し出し、本件申請書の保証人欄の記載と住所、氏名、生年月日等が一致すること及び画面上の登録印の印影と申請書に押印されている印影が一致することを確認し、その後、コンピューターで印鑑登録廃止の作業を行ったことが認められ、申請書の記載事項の確認につき、住民基本台帳との照合によらず、原告名義部分及び被告榮部分について、いずれもコンピューター画面上に映し出した記録済の印鑑登録事項と照合している点において、本件規則四条の定める手続を履践していないが、住民基本台帳に記載されている事項は、コンピューターに記録されている印鑑登録事項と代替され得ることからすると、霜﨑は、概ね本件条例の規定する手続をなしたといえる。
しかしながら、保証人方式による場合は、なお発問や調査を行って本人確認をすべき義務があるところ、〔証拠略〕によれば、霜﨑は、自称栄作に本人確認の手段として運転免許証、健康保険証の提示を求めていないこと、また、霜﨑は、申請書の住所欄に五井と記載している自称栄作が、被告市役所五井支所で申請をせず同地から離れた姉崎支所で申請していることや印鑑登録証明書交付申請書の申請者の生年月日欄に数字を書き直した跡があることなどを認識していながら、これらを特に不審に思わずに、口頭での確認をしなかったことなどが認められ、また、自称栄作に対して、口頭で同人の氏名、住所、生年月日、本籍、家族構成等を尋ねたと認めるに足る証拠もない。
以上のことからすると、霜﨑は、本件印鑑登録手続において、本件申請書及び印鑑登録証明書交付申請書の記載内容の形式的要件の具備及び本件申請書記載の生年月日と自称栄作の年格好の一致を確認をしたのみであって、更に進んで本人確認のための発問、調査を行ったものとは認められないから、保証人方式で印鑑登録申請がなされた場合の本人確認の方法としては不十分であったといわなければならない。殊に、本件では、右認定のとおり、自称栄作が最寄りの五井支所ではなく、姉崎支所で申請していること、自己の生年月日を書き損じた形跡があるなど不自然な点が疑われるのであるから、霜﨑は、これらの点を踏まえて、自称栄作に質問するなどして調査をし、慎重に本人確認をすべきであったといえる。
したがって、霜﨑には、印鑑証明事務担当者としての職務上の注意義務を尽くさなかった過失があると認めざるを得ない。
そして、霜﨑は、自称栄作からの新たな登録印の印鑑登録証明書の発行申請に応じて、即時、本件印鑑登録証書を含む四通の印鑑登録証明書を発行、交付したのであるから、この点についても右と同一の理由により過失があると認めざるを得ない。
2 原告が被った損害との因果関係について
(一) 本件登記の作出に基づく原告の損害について
(1) 前記第二の一の前提事実及び〔証拠略〕によれば、以下の事実が認められる。
(イ) 被告市は、原告に対し、平成六年八月五日、「印鑑登録について(通知)」と題する書面を郵送したところ、同月八日、原告から右「通知」に係る印鑑登録が虚偽である旨の申し出がなされたことから、姉崎支所より改めて原告宅に電話を入れ、右申出の趣旨を確認した上で印鑑証明発行停止処置をし、原告より印鑑登録廃止のための書類を提出してもらった。
(ロ) 同月九日、原告から被告市に対し、市の顧問弁護士に相談を受けたい旨の申し入れがあり、同日、市職員同席の上、原告は中條秀雄弁護士に本件を相談した。
また、同日、原告は持参した印鑑で改めて印鑑登録をした。
(ハ) 同月一〇日、被告市職員は、市原出張所長に対し、原告の印鑑登録が不正に改印され、その印鑑登録証明書が発行されていることを説明した上、市原出張所に提出されている登記申請書類を確認したところ、自称栄作の申請により被告市が発行した四通の印鑑登録証明書のうちの一枚(交付番号七八六四)を使用した本件各登記申請がなされていることが判明したことから、被告市職員は、市原出張所長に対し、原告の印鑑登録証明書が不正に使用されているので、本件各登記申請をそのまま受理しないよう協力を要請した。
また、同日、被告市職員は、原告(に)対し、運転免許証、印鑑登録カード、印鑑を持参して市原出張所に出頭するよう連絡し、原告に市原出張所長と面会させた。
(ニ) その後、被告市職員は、同月一一日から一三日の間にも、二回市原出張所を訪れ、本件各登記申請をそのまま受理しないよう協力を依頼した。
(ホ) 被告中本は、同月一一日、登記官の求めに応じて市原出張所に出頭し、その場で原告と直接面談した結果、被告中本に本件各登記申請を依頼した自称栄作と原告が別人であることを認めた。
以上の事実が認められる。
(2)(イ) 前示のとおり(第三1(一))、一般に、印鑑登録証明書が不動産取引、金融取引等の私人間の経済上の行為に必要なものとされていることからすれば、地方公共団体が発行した印鑑登録証明書が本件各登記申請のような不動産登記手続に使用されることは通常予想し得るものであることから、印鑑登録手続における事務担当者の過失と新規登録印の印鑑登録証明書を使用した不動産登記申請に基づく登記の作出によって発生する損害との間には、特別の事情がない限り相当因果関係があると解するのが相当である。
(ロ) そこで、この点について検討するに、後記4で認定するとおり、本件各登記は、市原出張所の登記官の過失によりなされたものと認めざるを得ず、右過失がなかったとすれば、本件各登記がなされることはなかったものと認められるから、本件印鑑登録手続における霜﨑の過失と本件各登記がなされたことにより原告が被った損害との間には、相当因果関係の存在を否定する特別の事情があるものと認めるのが相当である。
(ハ) よって、被告市には、本件各登記がなされたことにより原告が被った損害について賠償する責任があるとは認められない。
(ニ) 本件動産執行に基づいて原告が被った損害との間の相当因果関係の存否について
〔証拠略〕によれば、本件公正証書の作成に用いられた原告名義の印鑑登録証明書は、本件印鑑登録手続に基づく新たな登録印について交付された四通の印鑑登録証明書のうちの一通(交付番号七八六五)であることが認められるところ、印鑑登録証明書が金融取引等の公正証書作成に用いられることも通常予想し得るものであるから、右(一)(2)(イ)で説示したとこちと同様に、印鑑登録手続における事務担当者の過失と新規登録印の印鑑登録証明書を使用した公正証書の作成によって発生する損害との間には、特別の事情がない限り相当因果関係があると解するのが相当である。
そこで、その点について検討するに、本件記録を精査するも、本件公正証書の作成及び本件動産執行の過程において、右1で認定した霜﨑の過失と本件公正証書に基づく本件動産執行によって原告について生じた損害との間の相当因果関係の存在を否定する特別の事情は何ら見当たらないので、右損害と霜﨑の過失との間には相当因果関係があるものと認められる。
四 争点4について
1(一) 原告は、原告及び被告中本からの事情聴取並びに被告市職員の通報によって、本件印鑑証明書、本件保証書及び本件委任状がいずれも不実であることが判明したのであるから、登記官は本件各登記申請を却下すべきであったと主張しているので、この点について検討する。
(二) 登記官は、登記申請があったときには、遅滞なくその申請に関する事項を調査し(不動産登記法施行細則四七条)、法四九条一号ないし一一号所定の事由があるときはこれを却下すべきとされているが、法四九条に照らすと、登記官の審査すべき対象は、登記申請書及び附属書類について、当該登記申請が形式上の要件を具備しているかどうかという形式的事項にとどまり、進んでその登記事項が真実であるかどうかにつき実質的審査をする権限を有するものではないことは明らかである(最判昭和三五年四月二一日)。
そして、審査対象を右のように規定するのは、登記官の主観の混入を排除して迅速的な登記事務処理を図る趣旨であり、また、現行法上、登記官が登記申請に係る実質的事項について調査する権限・制度が認められていないことからすると、その審査の方法は、原則として、当該申請書及び附属書類の形式的真否を登記申請書、附属書類、登記簿、印影の相互対照等によって判定すべきであって、申請のため窓口に出頭している者やその他の者の口頭による審尋の結果などその他の資料は審査方法として用いるべきではないと解するのが相当である。
(三) 【要旨二】しかしながら、現在の不動産取引または社会生活において、不動産登記制度は単に登記申請に基づく形式的な不動産の権利関係を公示するのみならず、不動産登記に係る権利関係が実体の権利関係に符合するものとして、安全・円滑な不動産取引を実現させるための指針としての機能を有していることに鑑みると、登記事務処理においても、登記官が、登記審査の過程において職務上知り得た資料からすると、当該登記申請書またはその附属書類の形式的真正に明白な疑義が生じた場合には、例外的に、それらの事実を当該登記申請書またはその附属書類の適法性の判断の一要素とすることができ、その結果、当該登記申請につき不動産登記法四九条に定める却下事由があると判断されたときは、当該書面の補正を命じ、右補正がなされないときは、当該登記申請を却下すべき注意義務があると解するのが相当であり、かかる場合においても、これらの資料を判断の基礎とする審査方法を採用できないとすると、前示の不動産登記制度の機能に反するばかりか、実質的に登記官に不実、無効な登記を強要することにもなり、非合理的であることは明らかである。
(四) 本件では、本件各登記申請に当たって提出された本件委任状がいずれも自称栄作が原告名義を冒用して作成したものであることは前記第二の一の前提事実で認定したとおりであるが、右原告名義冒用の事実については、原告は、平成六年八月一〇日も運転免許証、印鑑登録カード、印鑑を持参して市原出張所長と面会し、右所長から本件各登記申請が原告の意思に基づくものであるかどうかについて質疑を受け、右所長に対し、免許証を提示して原告が「松田栄作」本人であることを明らかにしたうえ、原告が知らない間に本件印鑑登録手続がなされ、新規登録印の印鑑登録証明書が被告市から発行されたこと、原告は本件各登記申請の手続を被告中本に委任したことはないことなどを応え、同月一一日には、被告中本が、市原出張所の登記官の面前において、同被告に本件各登記申請を依頼し、原告名義の委任状を作成した自称栄作と原告が別人であることを認め、また、委任状に押印された原告名義の印影が被告市に登録された印鑑と同一であることを証明する印鑑証明書を発行した被告市の職員が、同月一〇日、市原出張所長に対し、本件各登記申請については、原告の印鑑登録証明書は不正に取得されたものであるので、本件各登記申請をそのまま受理しないよう協力を要請し(以上の事実は、前記第二の一の前提事実で認定したとおり)、同月一一日から一三日の間にも、二回市原出張所を訪れ、本件各登記申請をそのまま受理しないよう協力を要請しているのであり(前記第三の三2(一)(1)で認定したとおり)、また、証拠(被告中本本人)によれば、市原出張所の登記官は、被告中本に対し、本件各登記申請を取り下げるよう促したことが認められるが、これらの事実からすれば、市原出張所の登記官は、右原告及び被告中本の事情説明並びに被告市職員の要請により、本件委任状がいずれも原告の作成によるものではないこと、すなわち本件委任状が形式的真正を欠くということを認識し、それ故、被告中本に対し、本件各登記申請を取り下げるよう促したことが認められる。
【要旨二】 したがって、本件では、登記官が登記審査の過程において職務上知り得た資料により、当該登記申請書またはその附属書類の形式的真正に明白な疑義が生じた場合にあたるから、市原出張所の登記官は、右原告、被告中本及び被告市職員の事情説明を本件委任状の適法性の判断の要素としたうえで、本件委任状が形式的真正を欠くものであると認定して、その補正を命じ、あるいは適法な委任状の添付を欠くとして本件各登記申請を却下すべき(不動産登記法四九条八号、三五条一項五号)であるのにこれを怠り、漫然と申請に係る本件一の登記及び本件二の登記を実行した過失があるとしなければならない。
なお、被告国は、被告市市長から市原出張所長に対し、「印鑑登録証明書の無効について」と題する書面が送付されたのは、本件各登記実行後の同年八月二九日であって、右通知到達前の段階では、市原出張所の登記官において、本件印鑑登録証明書の不実を認識し得なかったとするがも被告市職員において、本件各登記実行前に市原出張所に本件印鑑登録証明書が不正に発行されたことを説明のうえ、本件登記申請をそのまま受理しないように要請したことは前記認定のとおりであり、右被告市職員による説明及び要請は、実質的に印鑑証明書の発行権者である被告市市長によるものと同視できるのであって、被告市職員による説明や要請と被告市市長による書面による通知にその信用性の点において顕著な差異が認められるものではないから、右書面が本件各登記実行後に提出されたことをもって、市原出張所の登記官において、本件印鑑登録証明書の不実を認識し得なかったとすることはできない。
五 争点5について
1 前記認定のとおり、本件各登記申請は、自称栄作が原告名義を冒用して被告中本に委任したものであるから、右事実からすれば、本件各登記に係る被告加藤と原告との間の抵当権設定契約及び所有権移転登記設定契約は、いずれも自称栄作が原告名義を冒用してしたものと推認される。
したがって、被告加藤は本件土地建物の所有者である原告に対し、本件各登記を保有する権原を有するものではないから、原告の本件各登記の抹消登記手続き請求は理由があると認められる。
2 また、前記第二の一の前提事実のとおり、本件連帯保証契約締結に当たって、原告が、訴外山野辺に対し、代理権を授与しないことは、原告と被告加藤の間で争いがない。
したがって、本件連帯保証契約は原告につき効力を有するものではない。
よって、本件連帯保証契約に係る連帯保証債務の不存在確認を求める原告の請求は理由がある。
3 また、右のとおり連帯保証債務は不存在なのであるから、右債務を原因とする本件公正証書に基づく強制執行によって、被告加藤が取得した七万六〇〇〇円は、原告との関係で、法律上の原因を欠くことになる。
したがって、原告の被告加藤に対する七万六〇〇〇円の不当利得返還請求は理由がある。
六 争点6について
1 前記第二の一の前提事実のとおり、被告榮は、自称栄作と共謀の上、原告名義を冒用して、本件申請書を作成して本件印鑑登録申請をなした上、本件印鑑登録手続後、本件印鑑登録証明書を入手し、それを本件各登記申請に添付しても本件各登記を作出させたものである。
したがって、被告榮は、右不法行為に基づき原告に生じた損害につき賠償する義務がある。
2 また、前記のとおり、被告加藤は本件公正証書に基づく原告所有動産に対する強制執行によって七万六〇〇〇円を取得し、原告は同額の損害を負っているところ、本件公正証書は、右1と同様に、被告榮が被告市から不正に入手した印鑑登録証明書四通のうちの一通(交付番号七八六五)を用いて作出したことは前記第三の三2(二)で認定したとおりである。
したがって(原告の被告榮に対する七万六〇〇〇円の損害賠償請求は理由があると認められ、前記(第三の五2)の被告加藤の原告に対する同額の不当利得返還債務とは、不真正連帯債務の関係にあると解される。
七 争点7について
1 弁護士費用
原告が、本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任したことは訴訟上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、請求が認容されたことによって原告が得た財産的利益等に照らすと、被告榮、中本、同佐々木及び同国の不法行為と相当因果関係がある損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は一〇〇万円が相当である。
2 慰謝料
一般に財産的侵害を原因とする損害賠償においては、たとえ、その財産的侵害によって精神的に損害を受けたとしても、その苦痛は、通常、その財産的価値が回復されれば、これによってともにその苦痛が慰謝されると解するのが相当であって、その損害が回復されても、なお慰謝され得ない精神上の苦痛を受けたと認むべき特別の事情がある場合のほかは、財産的価値の填補と別に精神的損害に対する賠償を認めることは相当でない。
本件では、前記各認定のとおり、原告の財産的損害はいずれも回復されるものであり、なお慰謝され得ない精神上の苦痛を受けたと認むべき特別の事情は見当たらないから、精神的損害は慰謝されたと認められる。
よって、その余の点(懲罰的損害賠償請求権の成否)につき判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。
第四 結論
以上のとおり、原告の、被告加藤に対する本件各登記の抹消登記手続請求及び本件公正証書に係る連帯保証債務の不存在確認請求はいずれも理由があるからこれらを認容し、不当利得に基づく返還請求は、七万六〇〇〇円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成八年七月二〇日(本件記録)から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告榮、同中本、同佐々木、同市及び同国に対する不法行為に基づく損害賠償請求は、被告榮、被告中本、同佐々木及び同国に対する一〇〇万円及びこれに対する不法行為成立の日である平成六年八月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、並びに同榮及び同市に対する七万六〇〇〇円及びこれに対する不法行為成立の日である平成七年一月一三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の限度でいずれも理由があるからこれらを認容し、被告らに対するその余の請求は、理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用の負担については、民事訴訟法六一条、六四条、六五条一項の各規定を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川島貴志郎 裁判官 菅原崇 齋藤巌)
別紙〔略〕